世界遺産軍艦島に行きました(`・ω・´)
いつもブログをご覧いただきありがとうございます(*’▽’)
受付の林田が投稿させていただきます。
2018年元旦に世界遺産の軍艦島に行きました✨
軍艦島の上陸はその日の海の状態や天候で決まるそうで
当日欠航もよくあるみたいです💦
幸運にも上陸できました(*’▽’)
船で港から40分くらいかかります。
船内は暖かいのですがすごい人で・・・
子供たちは酔ってしまいました。船上は凄く寒かったです。
上陸時間は1時間もありませんがガイドさんが色々軍艦島の説明を
してくれました。
軍艦島の由来
『端島』はいつ頃から『軍艦島』と呼ばれるようになったのでしょうか?
端島で石炭が採れることが分かったのは江戸時代で、明治に入ると本格的に竪坑が掘られるようになりました。
出炭量の増加に伴い、端島に移住する人が増加する中、1921年に地元・長崎日日新聞の紙面で端島がクローズアップされることになります。
その際、海上から写した端島の全景が、三菱造船長崎造船所で建造中だった戦艦『土佐』にそっくりだったのです。記事の中でもそれが話題になり、端島は『軍艦島』と呼ばれるようになりました。
当時の軍艦島では、コンクリートの箱のような鉄筋造りの高層アパートが次々と建設されていました。そのため、島を遠くから見たときに、まるで島全体が大きな軍艦のように見えたのです。
2015年に世界遺産として登録
軍艦島は2015年に『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』として、福岡県、山口県などの23施設とともに世界遺産に登録されています。
この遺産群は、1850年代から1910年の間、製鉄・製鋼・石炭・造船業において、西洋の技術が非西洋の国に波及し成功したことを証明するものです。
軍艦島の場合、島全体が世界遺産に登録されたわけではありません。明治時代につくられた『石炭の掘削坑』の部分のみが世界遺産となっています。
その周りを囲む廃墟群は、大正・昭和にかけて建てられた比較的新しいものなので、世界遺産には含まれていないと覚えておきましょう。
開坑と島の拡張
島で石炭が発見されたのは江戸時代後期で、当時は佐賀藩が採炭を行い、規模は小さなものでした。しかし、明治時代に入ると、三菱合資会社が島全体と鉱区の権利を買収します。
島の海底1000mには良質の石炭が眠っていて、主に九州の八幡製鉄所で製鉄用原料に用いられました。
その後、島は『海底炭鉱』として採掘を本格化し、炭鉱マンとその家族が移り住むようになります。炭鉱以外の居住地が少なかったため埋め立てを行い、現在の面積まで拡張されました。
最盛期の1960年には5200人以上の人が暮らしており、人口密度はなんと東京の約9倍だったそうです。これは世界一の記録で、今現在も破られていません。
高層住宅がひしめき、海底水道や屋上庭園など、当時の日本にはなかったスタイルが取り入れられて、『未来都市』と呼ばれるほどでした。
エネルギー革命と閉山
軍艦島の状況が暗転しはじめたのが、1950年代のエネルギー革命からです。
主要エネルギーが石炭から石油に移行すると、出炭量と人口は徐々に減少していき、1974年に、端島炭鉱は閉山となりました。住民は島を離れ、同年の4月には、無人化しています。
世界遺産が好きな我が家は、軍艦島に行けて良かったです(^o^)
機会があればぜひ行ってみて下さい💓
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